【旭川市】昔の旭川に思いを馳せて。現在の中心街の「宮下通」はかつて何と呼ばれていたか知っていますか? 少しだけ旭川の歴史に触れてみませんか。
JR旭川駅やイオンモール旭川駅前などがある場所「宮下通」。旭川の皆さんにはお馴染みの場所になっていると思います。この場所、かつて旭川の創成期には何と呼ばれていたかをご存じでしょうか。今回は「宮下通」について、少しばかりご案内したいと思います。
神楽岡に鎮座する「上川神社」。かつては「宮下通四丁目から七丁目に当る忠別川沿いの高台、通称義経台に、三百二十坪の土地を境内予定地として」と旭川市史に記載があり、現在の旭川駅に向かって右側一帯の通称義経台に鎮座していたそうです。1893年(明治26年)7月15日に今につながる上川神社は誕生しています。
現在は面影はありませんが「義経台」とあるので、小高い丘だったようです。
その上川神社の真下ということで「宮下」という地名が付いたようです。旭川市史によれば、1895年(明治28年)に、市街予定地に「次の字を置く」と記載されており、宮下町の名前が見られます。1898年(明治31年)の「上川郡旭川市街図」を見ると宮下町という表記が見られますね。では、宮下という地名の前は何という地名だったのか。
旭川市史によれば、1894年(明治27年)4月の第二次貸下時の上川第2市街地(旭川村市街地)区域を見ると、現在の宮下通一帯区域は「に通」となっています。1、2、3の数字の”2″ではなく、いろはにほへとの”に”となります。宮下通がに通、一条通がほ通、二条通がへ通となります。創成期なので分かりやすい名前にしたのでしょうね。
1895年(明治28年)2月15日までは現在の宮下通の5丁目から20丁目までは”に通”と言い、1895年(明治28年)2月16日の字名設定により宮下町となりました。1895年(明治32年)8月25日に字名改称により宮下通となっています。ちなみに字名とは、土地の登記簿に記載される公的な地名のことで、あくまでも字名が付いたのは「宮下町」からとなります。
旭川の老舗中の老舗、宮下通の中でも屈指の歴史ある酒造会社「髙砂酒造」さんに、創業時の酒造免許の許可証を見せていただきました。髙砂酒造は、1899年(明治32年)の会社創業以来127年間、宮下通17丁目のこの場所から動くことなく酒造を続けています。
宮下通となった1899年(明治32年)に清酒製造の免許を取っており、その書面を見せていただきました。髙砂酒造創設者小檜山鐵三郎氏の名が見られ、1899年(明治32年)9月2日時点の住所は「石狩国上川郡旭川村宮下通17丁目右1号」となっており「宮下通」と記載がありました。正式に宮下通という地名が用いられたのは、旭川市史を見ると1899年(明治32年)8月25日のことなので、もしかしたら宮下通と記載された免許証の第一号となるかもしれませんね。
宮下通を通る際は、旭川駅をはじめ髙砂酒造など、明治から続く歴史ある場所であることを思い、少しだけかつての時代を想像してみてくださいね。
これからも時折、旭川市史を読み解きながら、かつての旭川について皆さんにお伝えしていければと思っております。
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